このインタビューは、2006年5月18日に行われたピアノコンサート『カプースチンとの対話』で上映した齋藤大輔によるカプースチンへのインタビュー映像を書き起こしたものです。
内容は、演奏された楽曲の解説、齋藤の論文作成のための質問(主に経歴とフーガに関して)とその答えが中心となっています。
なお、当サイトの文章や画像などの無断転載および複製は禁じています。
カ=カプースチン
大=齋藤大輔
<8つの演奏会用エチュード 作品40まで>
カ:ではまず、ピアノ曲全般に関して。
カ:他の作曲家と同じく、私も作曲を試み始めましたが、全部ピアノ独奏曲で、拙いものばかりでした。
カ:1950年末に転換期があってオーケストラに惹かれ、それから1977年まで独奏曲は作りませんでした。オーケストラや、ピアノとオーケストラのための曲ばかり作曲しました。
カ:1977年に初めて円熟した作品が出来ました。それが《スイート・イン・オールド・スタイル》。
カ:その後、またオーケストラの曲を書き続けました。《トッカティーナ》や、《夜明け》など。
カ:84年に生活が変わり、仕事をやめ、自由になりました。
カ:ソ連文化省から電話があり、何か作品を持ってきて見せてくれないかと言われました。でも、見せられるのは、小さな曲がひとつストックしてあるだけでした。
カ:そこで少し待ってくれるよう頼み、それから3曲作曲して、ソナタ第1番が完成したのです。
カ:文化省は気に入り、十分な報酬を受け取りました。そして、またすぐに何か持ってくるように言われました。
<8つの演奏会用エチュード 作品40について>
カ:その時も、また一曲ストックしていた作品がありました。ヘ短調の曲です。これはヴィルトゥオーゾ・エチュード風でした。それで10曲から成るエチュードのツィクルスを作ることにしたのです。
カ:文化省から電話があり、レコードの収録が決まりました。表面にソナタ、裏面には今作っている曲を入れることになりました。
カ:しかし、20分で10曲は入らないとわかり、だから8曲にするしかなかったのです。
大:では、残りの二つは?
カ:まだ出来ていなかったのですよ(笑) 最後のエチュード1曲だけしか出来ていなかったんです。あと7曲を書かなければならなかった。
大:8つのエチュードは順番どおりに作ったのでしょうか。
カ:いいえ。初めにあったへ短調は最後の曲にしようと思っていました。
カ:ここでおもしろい話があります。
カ:2曲目を書き始めたとき、この曲の中間部に8曲目の第二主題を使いました。最後の曲は展開部なしのソナタ・アレグロ形式で書かれています。そして、このようなアーチが出来上がりました。だからこの曲集は通して演奏されねばなりません。
カ:4番と5番、7番と8番はアタッカで切れ目なく奏されます。調のプランも全て考え抜かれたものです。全体でひとつの作品です。
大:1番から伺いますと、この曲は、これから曲が始まるなあという感じがするのですが。期待させる。
カ:後を聞きたいという気持ちになる?(笑) もういいよ、とは言わせないかな?
カ:ピアニストの中には、初めに7番のインテルメッツォを気に入ってアンコールで弾く人もいます。古いジャズのスタイルだからでしょう。ニコライ・ペトロフや、マルク=アンドレ・アムランなど。ペトロフはアンコールでエチュードを3曲弾きました。
大:3番も人気があり、かっこいい。
カ:アムランは最後の2曲、7番と8番を。他の人はアンコールでよく1番を弾くようになりました。
カ:あなたの国の若きピアニスト、辻井伸行さんは2番を弾きますね。とてもよく弾いている。
大:8つの演奏会用エチュードは、日本でもカプースチン氏の代表的な優れた作品という評価ですが、自分の作品の中での格というか、位置づけは?
カ:複雑な問題ですね。
カ:毎回曲を書くと、やっと最高の傑作が書けたと思います。しかし、また次の作品を書き始めたら、その最高だと思っていた作品が大っ嫌いになったりします。
カ:何とこのエチュードときたら、22年前ですよ。それなのに、もう今真剣にこのエチュードと向き合うなんて出来ませんよ。
大:難しいけれど私が好きな作品に、パストラーレがあります。
カ:気に入っているのですか?この作品を気に入っている人には初めて会いました。
大:パストラーレという題が、あまりふさわしくない題名とありますが。
カ:その通り。
大:題名は曲を作った後につけたのでしょうか。
カ:私は作品に名前をつける才能がないのですよ。
大:カプースチン氏がつけたものではないのですね?
カ:はい。編集者が。あと、友達だったり。ソナタやエチュード、インテルメッツォ、即興曲、コンチェルトなどの大雑把なタイトルはつけられますが。
カ:ショパンもロマン的な人物でした。が、彼にも表現的なタイトルはないですね。スケルツォ、ソナタ、ワルツなど。
大:あと、5番<冗談>についてうかがいたいのですけれども、楽譜に書いてある音と、実際にCDでお聞きしたときの音で、異なるところがありまして。
カ:まさか!どのように?
大:ここ(69-71小節)でスイングをつけて弾いてらっしゃる。
カ:ここはもうブギウギの箇所ではないので。ブギウギのところではスイングは要りませんが、ここはもう絶対に要ります。
大:スイングのリズムも楽譜に書いてらっしゃることがとても多いと思うのですけれども。
カ:初期の頃は考えも深くなかったので。
大:後になってきてからは、楽譜にしっかり書くようになってきたということですね?
カ:年をとればとるほど、どんどん細かく書くようになりました。今や指使いまで詳細を書くようになりました。
<即興という幻覚>
大:従来の作品と比べて、例えばピアノだったらほんとに弱くしなければいけないし、勝手にテンポをゆっくりしたりすることも禁止されたり好まれなかったりしますが、(ジャズのスタイルでは)自由な演奏のスタイルが許されるように思いますが。
カ:クラシックの場合はどうですか?そこでもピアノと書かれていますが、どのようにというのは同様に抽象的です。どんなピアノかフォルテか、早くと書いてあるがどのくらいかなどは、もちろん演奏者によります。
カ:クラシックと一番違うのは、ジャズの性格としてスイングすること。これはもちろん出来ないといけません。ジャズを聞いたことのない人が、初めて私の作品を演奏しようとすると、とてもおかしくなります。
カ:私の作品の中には楽譜に書かれた即興がたくさんあります。実際これは即興のようでなければなりません。即興風ですね。これが本当に即興だという幻覚を生み出さないと。
カ:即興かそうでないかという問題は、聞く者が考えればいいですが、自然に聞こえなくてはなりません。「これは練習して覚えた」という印象を与えてしまってはいけない。
大:素敵に聞こえるように、その人の音楽の感性でもって弾くということが大切だと思いました。
カ:普通でないスタイルのものが現れると、例えばショパンでも、その当時ショパンの曲をどのように演奏するかがわからなかった。当時はショパンのルバートもとても風変わりに聞こえたでしょう。それまでにはなかったものとして。彼は、左手は正確に弾きなさい、右手は好きなように、と言いました。
カ:ジャズもそう。左手はメトロノームのように正確に弾かねばならないけれど、右手はちょっと遅れたり、延びたりします。エロール・ガーナーなどは、右手が常に遅れます。
<アンダンテ 作品40>
大:次にアンダンテを。
カ:ソナティナを別にすれば、この中ではアンダンテが一番最近の曲です。ソナティナは2000年の作品ですが、アンダンテは1990年。他の曲はもっとずっと以前のものです。ソナタ第6番を除いて、これらは全部頼まれて書きました(コンサートの演目の中での話)。
カ:私自身の希望によって作曲したわけではなかったのです。音楽出版社から依頼されて、 曲集の出版の度に、依頼されて書きました。
大:出版社から、このような曲というような注文は?
カ:いえ。具体的なものはありませんでした。
カ:アンダンテはジャズですね。この曲をジャズとクラシックの融合というのは難しい。これはもうジャズです。
大:弾きながら作ったのでしょうか、または紙の上で作ったのでしょうか。
カ:作曲の仕方を話すと長くなります。
カ:曲を作る前にはずっと座って、とても沢山のスケッチを書きます。 短く8小節など。
カ:そしてメロディだけを1段、2段のものなどと、30段ほどまで素材を作ってしまいます。
カ:その次に一番大変なのが、その中から使う価値のあるものを選ぶこと。
カ:そして一番大切なのがテーマを選ぶことですが、これはピアノを使わなくてもできます。
カ:しかし、大譜表を作るとき、ピアノは欠かせないと思います。ピアニストでもある作曲家は皆ピアノを使って作曲しました。
大:アンダンテはジャズとおっしゃいましたが、私はこの曲を聞いて、ピアノの上で作ったように思いました。
カ:幻想です。実際は同じように何度も書き直し、何回も確認しました。
<変奏曲 作品41>
大:変奏曲に関して。この曲に関しては、様々なジャズが用いられていると書かれています。
カ:確かに、いろんなジャンルのジャズがこの曲に入るよう作曲しました。
大:私がこの曲を聴いていいと思うのは、一曲を聴いて、いろんなスタイルのジャズを一度に楽しめてしまうという所です。
カ:はい。
カ:アムランのディスク批評を書いた評論家が、この変奏曲の第一主題はストラヴィンスキーの《春の祭典》のファゴット・ソロから取られていると指摘しましたが、私の方はそんな風に思ってみたこともなく、びっくりしました(笑) 批評家は私が特別にそうしたと思いましたが、私は全く気づいていなかったのです。私には発見でした。
カ:これは典型的なロシアの民族的旋律で、ストラヴィンスキーが使ったわけですが、民謡を様々な作曲家が取り入れることはあるわけで。
大:ラララララ、少し勉強してきました。
カ:とても高音のファゴットです。
<ソナティナ 作品100について>
大:ソナティナについて、この曲は比較的簡単ということがよく言われますが、ぜひもっと簡単な曲を、と思うのですが。なかなか難しい曲が多く、誰もが弾けるというわけではないのですね。
カ:ソナティナは、そんなにムズカシイデスとは思いませんが。
大:恐れ入りました。
カ:ムズカシイデハアリマセン。
大:日本語が達者で。日本語を勉強なさったことがあるのですか?
カ:はい。20年ほど前に。でも、本格的に作曲活動を始めたので、やめてしまいました。今はそれをとても残念に思っています。その時は、日本の方がこんなに暖かく接して下さるとは思ってもいなかったので。
<モーティヴ・フォース 作品45>
大:では、今度はモーティヴ・フォース。
カ:モーティヴ・フォース。ロシア語ではдвижущая сила(ドゥヴィージュシャヤ・スィーラ)。これは物理学的な意味合いを持っています。
大:この曲を弾く人が、この曲の魅力ということで無窮動の良さを掲げていましたが。
カ:小さいトッカティーナのよう。
カ:これも出版社からの依頼で、できるだけ早く何か書いてくれと言われて作りました。そのため私の作品の中でも最も短い曲となり、これ以上短い作品は私にはありません(笑) 1分40秒ほどでしょうか。
カ:一つのエピソードが変化もなくそのまま繰り返されたりしています。時間がなかったので。
<瞑想曲 作品47>
大:瞑想曲。きわめて真面目な曲というのが気になりますが。
カ:これはすごく珍しいことです。実際とても珍しい。私には真面目な作品は少ない。特にこの時期はそうです。
カ:今でこそ真面目な作品も出来るようになりましたが、当時は全てをあまり深く考えないで明るい曲ばかり書いていました。だから、その当時ものでは他の曲とは違っています。
カ:少しだけビル・エヴァンズが入っているような感じです。
カ:この曲を聴くのは長いし大変だと思います。恐らくこの曲は聴くより弾くほうがいい。
大:確かに、瞑想しながら弾く感じでしょうか。
カ:そうですね。
<ピアノ・ソナタ第6番 作品62>
大:私が6番で思うのは、形式の美しさ。ソナタ形式が整っている感じがします。
カ:整った形式と言われましたが、ソナタ2番の後、3番、4番、5番は形式がモダンになりすぎました。
カ:それに飽き飽きして、シンプルでより美しいソナタを書こうと決心しました。ですから6番は短いですが。
大:楽譜出版の状況で、3番から5番は少し手に入れづらいですね。
カ:もうすぐ出ますよ。
カ:12番は出版されていますし。ソナタの番号順にではないですが。譜面はモスクワで作っていて、出版はロンドンです。
大:出版社の方が書いたのでしょうか。great joy of human existence through a prism of nostalgia
カ:その通りです。
大:人間の存在の大きな喜びというのが、この曲の大きなテーマなのでしょうか。
カ:まあ、第1楽章はそうですね。
<作曲を始めた経緯>
大:小さい頃から作曲は頻繁に行っていたのでしょうか。
カ:かなり遅かったです。11歳頃から。
カ:14歳でモスクワに来ましたが、それまでジャズはまったく知りませんでした。
カ:ロシアにアンドレイ・コンチャロフスキーという有名な映画監督がいますが、彼も当時は映画監督を目指してはいなくて、音楽学校で一緒にピアノを勉強しました。彼と毎晩一緒にラジオ番組の、その当時有名だったVoice of America(アメリカの声)を聞きました。
カ:その頃はアメリカの音楽のレコードを手に入れることが出来ませんでした。
カ:私はクラシックの勉強をしていましたが、一方でジャズ音楽の流れがあり、これを無視することはできないと悟ったのです。どうやってジャズとクラシックの融合を成し遂げようかというイデー・フィクスが現れたのです。
カ:最も興味のあったのが、ジャズの様式でソナタ・アレグロが書けるかということ。ジャズのアクセントを入れて。
カ:最初は上手くいきませんでした。
カ:1958年、学生時代に何とか三楽章のソナタを作りました。他の学生たちにも気に入られ、ソナタ第1番にしてみようかとも思いました。しかし、この作品もまだ稚拙でした。ソナタ第1番はやはり84年のものです。
大:今のソナタは自分の中から出てきたジャズのスタイルでもって書かれているように思います。
カ:自然に?
通訳:はい
カ:その通りだと思います。年を追うごとに、もう他のスタイルでは書けなくなってきました。純粋なクラシックは書けなくなっていますし、私には純粋なクラシック作品はないでしょう。
カ:ジャズに関しても純粋にジャズというものは本当に少ない。どう書こうと思っても、今のジャズ・クラシックのこのスタイルでしか書けないのです。ある人は普通のアカデミックな作品を作ったあとに、ジャズ化しているのではないかと思うようですが、そうではありません。
カ:大事なのは全てが折衷主義ではなく、自然に有機的に作られることです。
<フーガ(24のプレリュードとフーガ 作品82、第3番、第5番、第8番)>
大:フーガに関して。フーガという形式の中でどのようなことができるか、形式という制約の中で自分のスタイルでの新たな可能性を探求している感じがします。
カ:もちろん形式という点で、私が何か新しい形式を考え出したとは思っていません。
カ:主題の四つの変形を使います。主題の基本形、転回形、逆行形、逆行形の転回形。十二音技法と同じ様に。私の作品では、しばしば主題のこの四つの形全部が使われます。
大:実際に楽譜をお持ちしました。24のプレリュードとフーガから。3番、5番、8番。5番はバッハにすごく作りが似ているように思います。
カ:え?ジャズでしょう?どうして似ていますか?
大:そうですね、構造としてです。
カ:フーガを書いたらバッハに必ず似てしまうと思います。
カ:けれどバッハは逆行形の転回形をあまり使わなかった。この形はバッハまでの人、オランダの作曲家たちが好んだものです。
大:フーガは私の中では計算され尽くして作られるイメージがあります。また一方でフーガは即興でも演奏されたようで、実際バッハなども即興で行っていたようです。
カ:(一人で楽譜を見ながら)ここはとても難しい…。
大:一つのテーマが出来たとき、後ろは計算されているのでしょうか。
カ:少しだけ。
カ:一つの曲が既に頭の中に全部あったのはモーツァルトくらいです。モーツァルトは全てを頭の中で作ってしまっていたので、それを楽譜に書き起こす作業を全くやる気がしなかった。おそらく他のどの作曲家もこんな記憶力は持ち合わせていないでしょう。
大:3番は自由な感じだと思います。
カ:最初から二重フーガです。
大:対位主題(countersubject)ですか?
カ:いえ、違います。
カ:すぐに二つのテーマが同時に始まっています。二重フーガです。いわゆる他の作曲家のような、普通の二重フーガとは違うと思います。そこまで厳格な書法ではありませんから。
大:構造的にも自由な感じがします。印象に残りやすい、ノリがいい。
カ:おどけた、ユーモアの効いた感じ。
大:フーガでこのようなことができるのも、探究心のひとつの表れかと思います。
カ:普通はフーガは退屈でしょう?
大:そんなことはないですよ。8番は。
カ:全く忘れていました。(楽譜を)見せて下さい。
大:普通は全てのパートで一回テーマが示されてから楽曲が展開していきますが、ソプラノの出だしに関し、二つのテーマの用い方という点で新しさを感じます。
カ:はい。これも二重フーガ風な感じはします。しかし、これはまた別のテーマです。
カ:ここ(84小節アウフタクト)はゆっくりはじめます。
カ:ここには書いていませんが、私がこの曲を自分でレコーディングしたとき、ここをゆっくり弾いて、徐々に元のテンポに戻しています。
大:二つのテーマの扱い方が新しく、探究心を感じました。
カ:そうですね、恐らくそういう風に聞こえてくるでしょう。
<モスクワ音楽院で>
大:対位法的書法をつきつめているのがわかりますが、作曲の勉強はなさったのでしょうか。
カ:いえ。バッハも私も独学者です。彼も作曲の勉強はしてないと思います。ニコライ・メトネルも、普通のピアニストでした。私もそうです。
カ:音楽院ではピアノ科にいましたが、学校側からは作曲のコースに入るように言われました。しかし、本当に行きたくありませんでした。
カ:三年次から作曲科を始めても、ピアノ科と共に両方の卒業を許可するとも言われました。しかし、作曲科で何が出来たでしょうか?私はとてもジャズに惹かれていましたので、音楽院の作曲科には行かない方がいいと思いました。
大:やはり作曲の才が知られていたのですね。
カ:学校では知られていました。皆、私が作曲をしていることは知っていました。しかし、私がどういう曲を作っていたか知ったら、誘わなかったかもしれません。
大:バッハが、兄の楽譜を一生懸命写譜したことがあるのですが、この作品を見て、誰かの作品を写譜したりしたのではないかと思ってしまいます。
カ:注意深く、偉大な音楽家達の作品がどのように書かれているか、研究、分析し、徐々に勉強していきました。目から作品を見たり、あらゆる手段で。もちろん私はピアニストだったので、弾いてみましたし。
大:具体的に、クラシックの作品でためになったものなどは?
カ:各々の時期に様々な作品を。
カ:何故か子供時代にはグリンカ。その後はラフマニノフ、そしてラヴェル、それからバルトーク。その後は誰にも興味が…。
<ルンドストレーム楽団や二つのオーケストラ>
大:旅を様々になさったとのことですが、どのようなところを旅したのでしょうか。
カ:11年ほど、オレグ・ルンドストレームの下で、彼の楽団におりました。彼は去年亡くなってしまったのですが。
大:どのようなところに行きましたか?
カ:旧ソ連全域、あとはいわゆる旧社会主義国(東欧)。
大:国外は東欧ですね。どのようなところで演奏なさいました?
カ:常に大きな会場です。スタジアムやスポーツセンター。二千人以下のところはありません。ビックバンドといっても歌手を連れていました。歌を聴きに聴衆が来ることも多かったのです。コンサート自体も長かったです。オーケストラの曲は五曲程度で、他は歌でした。オーケストラだけの曲はほとんどありませんでした。
大:1972年以降に、二つのオーケストラと。
カ:ラジオ・オーケストラでは五年働きました。軽音楽オーケストラと当時は言われていました。ビックバンドに弦楽器が少し入った感じのオーケストラでした。ほぼ交響楽団のような編成で、少し規模が小さいくらいでしたね。
カ:映画のオーケストラでも七年間働きました。
大:ピアノ担当だったのですね?
カ:七人ピアニストがいましたが、事実上、二つオーケストラが存在していました。映画音楽は並行していろんな曲を録音せねばならなかったので、多くのピアニストが必要でした。
大:他におもしろそうなピアニストはいましたか?
カ:一人映画オーケストラにいましたが、おそらくあなたの知らない人でしょう。オーケストラでは有名な人というのはいません。
大:その間に、オーケストラの曲が多く作曲されていますが、そこで演奏するための曲だったのでしょうか。
カ:もちろん、それが主な理由です。
カ:映画音楽所とその前にいた二つのオーケストラでは、まったく状況が異なります。
カ:映画音楽所での主は映画監督でした。それに比べ、その以前の二つのオーケストラは私自身の音楽を演奏できるような場でした。私はオーケストラの主のようでした。何を書いても次の日には演奏してくれました。
<コンサート用の挨拶>
大:最後に日本のお客様に向かって何かメッセージを。
カ:難しい。どういうことを言ったらよいか。
大:う〜ん。
カ:ミナサン。
通訳:あいさつということで。
カ:親愛なる皆様。このホールに向かって、寒くて遠く離れたモスクワからご挨拶できますことを大変嬉しく思います。私の音楽に興味、関心を持っていただき、心より感謝いたします。
2006年2月1日 モスクワのカプースチン宅にて
監訳:鮫島奈津子
内容は、演奏された楽曲の解説、齋藤の論文作成のための質問(主に経歴とフーガに関して)とその答えが中心となっています。
なお、当サイトの文章や画像などの無断転載および複製は禁じています。
カ=カプースチン
大=齋藤大輔
<8つの演奏会用エチュード 作品40まで>
カ:ではまず、ピアノ曲全般に関して。
カ:他の作曲家と同じく、私も作曲を試み始めましたが、全部ピアノ独奏曲で、拙いものばかりでした。
カ:1950年末に転換期があってオーケストラに惹かれ、それから1977年まで独奏曲は作りませんでした。オーケストラや、ピアノとオーケストラのための曲ばかり作曲しました。
カ:1977年に初めて円熟した作品が出来ました。それが《スイート・イン・オールド・スタイル》。
カ:その後、またオーケストラの曲を書き続けました。《トッカティーナ》や、《夜明け》など。
カ:84年に生活が変わり、仕事をやめ、自由になりました。
カ:ソ連文化省から電話があり、何か作品を持ってきて見せてくれないかと言われました。でも、見せられるのは、小さな曲がひとつストックしてあるだけでした。
カ:そこで少し待ってくれるよう頼み、それから3曲作曲して、ソナタ第1番が完成したのです。
カ:文化省は気に入り、十分な報酬を受け取りました。そして、またすぐに何か持ってくるように言われました。
<8つの演奏会用エチュード 作品40について>
カ:その時も、また一曲ストックしていた作品がありました。ヘ短調の曲です。これはヴィルトゥオーゾ・エチュード風でした。それで10曲から成るエチュードのツィクルスを作ることにしたのです。
カ:文化省から電話があり、レコードの収録が決まりました。表面にソナタ、裏面には今作っている曲を入れることになりました。
カ:しかし、20分で10曲は入らないとわかり、だから8曲にするしかなかったのです。
大:では、残りの二つは?
カ:まだ出来ていなかったのですよ(笑) 最後のエチュード1曲だけしか出来ていなかったんです。あと7曲を書かなければならなかった。
大:8つのエチュードは順番どおりに作ったのでしょうか。
カ:いいえ。初めにあったへ短調は最後の曲にしようと思っていました。
カ:ここでおもしろい話があります。
カ:2曲目を書き始めたとき、この曲の中間部に8曲目の第二主題を使いました。最後の曲は展開部なしのソナタ・アレグロ形式で書かれています。そして、このようなアーチが出来上がりました。だからこの曲集は通して演奏されねばなりません。
カ:4番と5番、7番と8番はアタッカで切れ目なく奏されます。調のプランも全て考え抜かれたものです。全体でひとつの作品です。
大:1番から伺いますと、この曲は、これから曲が始まるなあという感じがするのですが。期待させる。
カ:後を聞きたいという気持ちになる?(笑) もういいよ、とは言わせないかな?
カ:ピアニストの中には、初めに7番のインテルメッツォを気に入ってアンコールで弾く人もいます。古いジャズのスタイルだからでしょう。ニコライ・ペトロフや、マルク=アンドレ・アムランなど。ペトロフはアンコールでエチュードを3曲弾きました。
大:3番も人気があり、かっこいい。
カ:アムランは最後の2曲、7番と8番を。他の人はアンコールでよく1番を弾くようになりました。
カ:あなたの国の若きピアニスト、辻井伸行さんは2番を弾きますね。とてもよく弾いている。
大:8つの演奏会用エチュードは、日本でもカプースチン氏の代表的な優れた作品という評価ですが、自分の作品の中での格というか、位置づけは?
カ:複雑な問題ですね。
カ:毎回曲を書くと、やっと最高の傑作が書けたと思います。しかし、また次の作品を書き始めたら、その最高だと思っていた作品が大っ嫌いになったりします。
カ:何とこのエチュードときたら、22年前ですよ。それなのに、もう今真剣にこのエチュードと向き合うなんて出来ませんよ。
大:難しいけれど私が好きな作品に、パストラーレがあります。
カ:気に入っているのですか?この作品を気に入っている人には初めて会いました。
大:パストラーレという題が、あまりふさわしくない題名とありますが。
カ:その通り。
大:題名は曲を作った後につけたのでしょうか。
カ:私は作品に名前をつける才能がないのですよ。
大:カプースチン氏がつけたものではないのですね?
カ:はい。編集者が。あと、友達だったり。ソナタやエチュード、インテルメッツォ、即興曲、コンチェルトなどの大雑把なタイトルはつけられますが。
カ:ショパンもロマン的な人物でした。が、彼にも表現的なタイトルはないですね。スケルツォ、ソナタ、ワルツなど。
大:あと、5番<冗談>についてうかがいたいのですけれども、楽譜に書いてある音と、実際にCDでお聞きしたときの音で、異なるところがありまして。
カ:まさか!どのように?
大:ここ(69-71小節)でスイングをつけて弾いてらっしゃる。
カ:ここはもうブギウギの箇所ではないので。ブギウギのところではスイングは要りませんが、ここはもう絶対に要ります。
大:スイングのリズムも楽譜に書いてらっしゃることがとても多いと思うのですけれども。
カ:初期の頃は考えも深くなかったので。
大:後になってきてからは、楽譜にしっかり書くようになってきたということですね?
カ:年をとればとるほど、どんどん細かく書くようになりました。今や指使いまで詳細を書くようになりました。
<即興という幻覚>
大:従来の作品と比べて、例えばピアノだったらほんとに弱くしなければいけないし、勝手にテンポをゆっくりしたりすることも禁止されたり好まれなかったりしますが、(ジャズのスタイルでは)自由な演奏のスタイルが許されるように思いますが。
カ:クラシックの場合はどうですか?そこでもピアノと書かれていますが、どのようにというのは同様に抽象的です。どんなピアノかフォルテか、早くと書いてあるがどのくらいかなどは、もちろん演奏者によります。
カ:クラシックと一番違うのは、ジャズの性格としてスイングすること。これはもちろん出来ないといけません。ジャズを聞いたことのない人が、初めて私の作品を演奏しようとすると、とてもおかしくなります。
カ:私の作品の中には楽譜に書かれた即興がたくさんあります。実際これは即興のようでなければなりません。即興風ですね。これが本当に即興だという幻覚を生み出さないと。
カ:即興かそうでないかという問題は、聞く者が考えればいいですが、自然に聞こえなくてはなりません。「これは練習して覚えた」という印象を与えてしまってはいけない。
大:素敵に聞こえるように、その人の音楽の感性でもって弾くということが大切だと思いました。
カ:普通でないスタイルのものが現れると、例えばショパンでも、その当時ショパンの曲をどのように演奏するかがわからなかった。当時はショパンのルバートもとても風変わりに聞こえたでしょう。それまでにはなかったものとして。彼は、左手は正確に弾きなさい、右手は好きなように、と言いました。
カ:ジャズもそう。左手はメトロノームのように正確に弾かねばならないけれど、右手はちょっと遅れたり、延びたりします。エロール・ガーナーなどは、右手が常に遅れます。
<アンダンテ 作品40>
大:次にアンダンテを。
カ:ソナティナを別にすれば、この中ではアンダンテが一番最近の曲です。ソナティナは2000年の作品ですが、アンダンテは1990年。他の曲はもっとずっと以前のものです。ソナタ第6番を除いて、これらは全部頼まれて書きました(コンサートの演目の中での話)。
カ:私自身の希望によって作曲したわけではなかったのです。音楽出版社から依頼されて、 曲集の出版の度に、依頼されて書きました。
大:出版社から、このような曲というような注文は?
カ:いえ。具体的なものはありませんでした。
カ:アンダンテはジャズですね。この曲をジャズとクラシックの融合というのは難しい。これはもうジャズです。
大:弾きながら作ったのでしょうか、または紙の上で作ったのでしょうか。
カ:作曲の仕方を話すと長くなります。
カ:曲を作る前にはずっと座って、とても沢山のスケッチを書きます。 短く8小節など。
カ:そしてメロディだけを1段、2段のものなどと、30段ほどまで素材を作ってしまいます。
カ:その次に一番大変なのが、その中から使う価値のあるものを選ぶこと。
カ:そして一番大切なのがテーマを選ぶことですが、これはピアノを使わなくてもできます。
カ:しかし、大譜表を作るとき、ピアノは欠かせないと思います。ピアニストでもある作曲家は皆ピアノを使って作曲しました。
大:アンダンテはジャズとおっしゃいましたが、私はこの曲を聞いて、ピアノの上で作ったように思いました。
カ:幻想です。実際は同じように何度も書き直し、何回も確認しました。
<変奏曲 作品41>
大:変奏曲に関して。この曲に関しては、様々なジャズが用いられていると書かれています。
カ:確かに、いろんなジャンルのジャズがこの曲に入るよう作曲しました。
大:私がこの曲を聴いていいと思うのは、一曲を聴いて、いろんなスタイルのジャズを一度に楽しめてしまうという所です。
カ:はい。
カ:アムランのディスク批評を書いた評論家が、この変奏曲の第一主題はストラヴィンスキーの《春の祭典》のファゴット・ソロから取られていると指摘しましたが、私の方はそんな風に思ってみたこともなく、びっくりしました(笑) 批評家は私が特別にそうしたと思いましたが、私は全く気づいていなかったのです。私には発見でした。
カ:これは典型的なロシアの民族的旋律で、ストラヴィンスキーが使ったわけですが、民謡を様々な作曲家が取り入れることはあるわけで。
大:ラララララ、少し勉強してきました。
カ:とても高音のファゴットです。
<ソナティナ 作品100について>
大:ソナティナについて、この曲は比較的簡単ということがよく言われますが、ぜひもっと簡単な曲を、と思うのですが。なかなか難しい曲が多く、誰もが弾けるというわけではないのですね。
カ:ソナティナは、そんなにムズカシイデスとは思いませんが。
大:恐れ入りました。
カ:ムズカシイデハアリマセン。
大:日本語が達者で。日本語を勉強なさったことがあるのですか?
カ:はい。20年ほど前に。でも、本格的に作曲活動を始めたので、やめてしまいました。今はそれをとても残念に思っています。その時は、日本の方がこんなに暖かく接して下さるとは思ってもいなかったので。
<モーティヴ・フォース 作品45>
大:では、今度はモーティヴ・フォース。
カ:モーティヴ・フォース。ロシア語ではдвижущая сила(ドゥヴィージュシャヤ・スィーラ)。これは物理学的な意味合いを持っています。
大:この曲を弾く人が、この曲の魅力ということで無窮動の良さを掲げていましたが。
カ:小さいトッカティーナのよう。
カ:これも出版社からの依頼で、できるだけ早く何か書いてくれと言われて作りました。そのため私の作品の中でも最も短い曲となり、これ以上短い作品は私にはありません(笑) 1分40秒ほどでしょうか。
カ:一つのエピソードが変化もなくそのまま繰り返されたりしています。時間がなかったので。
<瞑想曲 作品47>
大:瞑想曲。きわめて真面目な曲というのが気になりますが。
カ:これはすごく珍しいことです。実際とても珍しい。私には真面目な作品は少ない。特にこの時期はそうです。
カ:今でこそ真面目な作品も出来るようになりましたが、当時は全てをあまり深く考えないで明るい曲ばかり書いていました。だから、その当時ものでは他の曲とは違っています。
カ:少しだけビル・エヴァンズが入っているような感じです。
カ:この曲を聴くのは長いし大変だと思います。恐らくこの曲は聴くより弾くほうがいい。
大:確かに、瞑想しながら弾く感じでしょうか。
カ:そうですね。
<ピアノ・ソナタ第6番 作品62>
大:私が6番で思うのは、形式の美しさ。ソナタ形式が整っている感じがします。
カ:整った形式と言われましたが、ソナタ2番の後、3番、4番、5番は形式がモダンになりすぎました。
カ:それに飽き飽きして、シンプルでより美しいソナタを書こうと決心しました。ですから6番は短いですが。
大:楽譜出版の状況で、3番から5番は少し手に入れづらいですね。
カ:もうすぐ出ますよ。
カ:12番は出版されていますし。ソナタの番号順にではないですが。譜面はモスクワで作っていて、出版はロンドンです。
大:出版社の方が書いたのでしょうか。great joy of human existence through a prism of nostalgia
カ:その通りです。
大:人間の存在の大きな喜びというのが、この曲の大きなテーマなのでしょうか。
カ:まあ、第1楽章はそうですね。
<作曲を始めた経緯>
大:小さい頃から作曲は頻繁に行っていたのでしょうか。
カ:かなり遅かったです。11歳頃から。
カ:14歳でモスクワに来ましたが、それまでジャズはまったく知りませんでした。
カ:ロシアにアンドレイ・コンチャロフスキーという有名な映画監督がいますが、彼も当時は映画監督を目指してはいなくて、音楽学校で一緒にピアノを勉強しました。彼と毎晩一緒にラジオ番組の、その当時有名だったVoice of America(アメリカの声)を聞きました。
カ:その頃はアメリカの音楽のレコードを手に入れることが出来ませんでした。
カ:私はクラシックの勉強をしていましたが、一方でジャズ音楽の流れがあり、これを無視することはできないと悟ったのです。どうやってジャズとクラシックの融合を成し遂げようかというイデー・フィクスが現れたのです。
カ:最も興味のあったのが、ジャズの様式でソナタ・アレグロが書けるかということ。ジャズのアクセントを入れて。
カ:最初は上手くいきませんでした。
カ:1958年、学生時代に何とか三楽章のソナタを作りました。他の学生たちにも気に入られ、ソナタ第1番にしてみようかとも思いました。しかし、この作品もまだ稚拙でした。ソナタ第1番はやはり84年のものです。
大:今のソナタは自分の中から出てきたジャズのスタイルでもって書かれているように思います。
カ:自然に?
通訳:はい
カ:その通りだと思います。年を追うごとに、もう他のスタイルでは書けなくなってきました。純粋なクラシックは書けなくなっていますし、私には純粋なクラシック作品はないでしょう。
カ:ジャズに関しても純粋にジャズというものは本当に少ない。どう書こうと思っても、今のジャズ・クラシックのこのスタイルでしか書けないのです。ある人は普通のアカデミックな作品を作ったあとに、ジャズ化しているのではないかと思うようですが、そうではありません。
カ:大事なのは全てが折衷主義ではなく、自然に有機的に作られることです。
<フーガ(24のプレリュードとフーガ 作品82、第3番、第5番、第8番)>
大:フーガに関して。フーガという形式の中でどのようなことができるか、形式という制約の中で自分のスタイルでの新たな可能性を探求している感じがします。
カ:もちろん形式という点で、私が何か新しい形式を考え出したとは思っていません。
カ:主題の四つの変形を使います。主題の基本形、転回形、逆行形、逆行形の転回形。十二音技法と同じ様に。私の作品では、しばしば主題のこの四つの形全部が使われます。
大:実際に楽譜をお持ちしました。24のプレリュードとフーガから。3番、5番、8番。5番はバッハにすごく作りが似ているように思います。
カ:え?ジャズでしょう?どうして似ていますか?
大:そうですね、構造としてです。
カ:フーガを書いたらバッハに必ず似てしまうと思います。
カ:けれどバッハは逆行形の転回形をあまり使わなかった。この形はバッハまでの人、オランダの作曲家たちが好んだものです。
大:フーガは私の中では計算され尽くして作られるイメージがあります。また一方でフーガは即興でも演奏されたようで、実際バッハなども即興で行っていたようです。
カ:(一人で楽譜を見ながら)ここはとても難しい…。
大:一つのテーマが出来たとき、後ろは計算されているのでしょうか。
カ:少しだけ。
カ:一つの曲が既に頭の中に全部あったのはモーツァルトくらいです。モーツァルトは全てを頭の中で作ってしまっていたので、それを楽譜に書き起こす作業を全くやる気がしなかった。おそらく他のどの作曲家もこんな記憶力は持ち合わせていないでしょう。
大:3番は自由な感じだと思います。
カ:最初から二重フーガです。
大:対位主題(countersubject)ですか?
カ:いえ、違います。
カ:すぐに二つのテーマが同時に始まっています。二重フーガです。いわゆる他の作曲家のような、普通の二重フーガとは違うと思います。そこまで厳格な書法ではありませんから。
大:構造的にも自由な感じがします。印象に残りやすい、ノリがいい。
カ:おどけた、ユーモアの効いた感じ。
大:フーガでこのようなことができるのも、探究心のひとつの表れかと思います。
カ:普通はフーガは退屈でしょう?
大:そんなことはないですよ。8番は。
カ:全く忘れていました。(楽譜を)見せて下さい。
大:普通は全てのパートで一回テーマが示されてから楽曲が展開していきますが、ソプラノの出だしに関し、二つのテーマの用い方という点で新しさを感じます。
カ:はい。これも二重フーガ風な感じはします。しかし、これはまた別のテーマです。
カ:ここ(84小節アウフタクト)はゆっくりはじめます。
カ:ここには書いていませんが、私がこの曲を自分でレコーディングしたとき、ここをゆっくり弾いて、徐々に元のテンポに戻しています。
大:二つのテーマの扱い方が新しく、探究心を感じました。
カ:そうですね、恐らくそういう風に聞こえてくるでしょう。
<モスクワ音楽院で>
大:対位法的書法をつきつめているのがわかりますが、作曲の勉強はなさったのでしょうか。
カ:いえ。バッハも私も独学者です。彼も作曲の勉強はしてないと思います。ニコライ・メトネルも、普通のピアニストでした。私もそうです。
カ:音楽院ではピアノ科にいましたが、学校側からは作曲のコースに入るように言われました。しかし、本当に行きたくありませんでした。
カ:三年次から作曲科を始めても、ピアノ科と共に両方の卒業を許可するとも言われました。しかし、作曲科で何が出来たでしょうか?私はとてもジャズに惹かれていましたので、音楽院の作曲科には行かない方がいいと思いました。
大:やはり作曲の才が知られていたのですね。
カ:学校では知られていました。皆、私が作曲をしていることは知っていました。しかし、私がどういう曲を作っていたか知ったら、誘わなかったかもしれません。
大:バッハが、兄の楽譜を一生懸命写譜したことがあるのですが、この作品を見て、誰かの作品を写譜したりしたのではないかと思ってしまいます。
カ:注意深く、偉大な音楽家達の作品がどのように書かれているか、研究、分析し、徐々に勉強していきました。目から作品を見たり、あらゆる手段で。もちろん私はピアニストだったので、弾いてみましたし。
大:具体的に、クラシックの作品でためになったものなどは?
カ:各々の時期に様々な作品を。
カ:何故か子供時代にはグリンカ。その後はラフマニノフ、そしてラヴェル、それからバルトーク。その後は誰にも興味が…。
<ルンドストレーム楽団や二つのオーケストラ>
大:旅を様々になさったとのことですが、どのようなところを旅したのでしょうか。
カ:11年ほど、オレグ・ルンドストレームの下で、彼の楽団におりました。彼は去年亡くなってしまったのですが。
大:どのようなところに行きましたか?
カ:旧ソ連全域、あとはいわゆる旧社会主義国(東欧)。
大:国外は東欧ですね。どのようなところで演奏なさいました?
カ:常に大きな会場です。スタジアムやスポーツセンター。二千人以下のところはありません。ビックバンドといっても歌手を連れていました。歌を聴きに聴衆が来ることも多かったのです。コンサート自体も長かったです。オーケストラの曲は五曲程度で、他は歌でした。オーケストラだけの曲はほとんどありませんでした。
大:1972年以降に、二つのオーケストラと。
カ:ラジオ・オーケストラでは五年働きました。軽音楽オーケストラと当時は言われていました。ビックバンドに弦楽器が少し入った感じのオーケストラでした。ほぼ交響楽団のような編成で、少し規模が小さいくらいでしたね。
カ:映画のオーケストラでも七年間働きました。
大:ピアノ担当だったのですね?
カ:七人ピアニストがいましたが、事実上、二つオーケストラが存在していました。映画音楽は並行していろんな曲を録音せねばならなかったので、多くのピアニストが必要でした。
大:他におもしろそうなピアニストはいましたか?
カ:一人映画オーケストラにいましたが、おそらくあなたの知らない人でしょう。オーケストラでは有名な人というのはいません。
大:その間に、オーケストラの曲が多く作曲されていますが、そこで演奏するための曲だったのでしょうか。
カ:もちろん、それが主な理由です。
カ:映画音楽所とその前にいた二つのオーケストラでは、まったく状況が異なります。
カ:映画音楽所での主は映画監督でした。それに比べ、その以前の二つのオーケストラは私自身の音楽を演奏できるような場でした。私はオーケストラの主のようでした。何を書いても次の日には演奏してくれました。
<コンサート用の挨拶>
大:最後に日本のお客様に向かって何かメッセージを。
カ:難しい。どういうことを言ったらよいか。
大:う〜ん。
カ:ミナサン。
通訳:あいさつということで。
カ:親愛なる皆様。このホールに向かって、寒くて遠く離れたモスクワからご挨拶できますことを大変嬉しく思います。私の音楽に興味、関心を持っていただき、心より感謝いたします。
2006年2月1日 モスクワのカプースチン宅にて
監訳:鮫島奈津子